【流山市医師会 市民公開講座】
2019.11.17
次の震災について本当のことを話してみよう
名古屋大学減災連携研究センター所長 福和 伸夫 教授
はじめに
令和元年11月17日、おおたかの森ホールに名古屋大学減災連携研究センター所長の福和伸夫教授をお招きし、「次の震災について本当のことを話してみよう」との演題で、90分間があっという間に過ぎる、怖くて有益なお話を伺いました。
当日の講演の一部を抜粋してご報告とします。福和先生の軽妙な語りが伝われば幸いです。
講演内容
60年前、どんなことが名古屋であったか見ていただきたいと思います。60年前の伊勢湾台風が起きた時の様子です(当時のテレビ報道の様子の動画)。今では考えられませんがアナウンサーは被災地のことを「ひどい」「くさい」と言っています。インタビュアーは「元気ですか」と声をかけます。被災者は5000人の遺体が浮いているところに、水没した家に帰ってきてちゃんと住んでいるんです。行政からの支援は全くありません。当時は国民一人一人の生きる力があったということを思い出す必要があると思います。海抜0m地帯の場所は堤防が切れれば海になるわけです。残念ながら当時ここは2カ月間堤防を直せず、堤防を閉めるのに2カ月、ポンプアップ1カ月、あわせて3か月水につかっていました。そこ(画面)に道が一本通っています。当時の土木の力では道を作ることができないので、ドラム缶に石を詰めて応急的に道を作り、被災地を立て直しました。
嫌な話をすると、2015年に爆発的噴火をした口永良部島の近くに、7300年前に破局噴火した鬼界カルデラがあります(画面)。今年の世界遺産候補は北海道と東北の縄文文化です。つまり北海道と東北以外は、縄文文化はなくなったということではないでしょうか。こういった大災害はわが国では1万年に1回はあるわけです。
日本では明治まで、地震が起きた後改元をしていました。それを災異改元と言います。最近でいうと安政になったときは東海地震と南海地震が起きて安政に代え、安政に変えた年に江戸直下地震が起きて江戸がもたなくなって明治になります。徳川綱吉の時代には元禄の関東地震が来て元禄から宝永に直しますが、宝永になった後、南海トラフ巨大地震と富士山の大噴火があって豊かだった時代が終わり、それを立て直したのが徳川吉宗です。さらにさかのぼる豊臣秀吉の時代(1596/9/1)は、四国で地震がおき、3日後九州で地震が起き、翌日、伏見で地震が起きて伏見城が倒壊し、明との講和が決裂し、朝鮮と戦争をはじめ関ヶ原の戦いで家康が勝って安土桃山時代が終わりました。いずれも南海トラフ地震前後の活動期になります。幕末を見てみますと1853年から58年のたった6年間で小田原の地震から飛越地震まで11個あり、その中には東海地震も南海地震も江戸直下の地震もありました。江戸暴風雨もあり日本中でコレラが流行した。地震の活動期には衛生状態が良くないので疫病が蔓延します。そんな時にペリーやプチャーチンが開国要求にやってきました。大老の井伊直弼は安政の大獄を仕掛けます。吉田松陰を処刑し、尊王攘夷派の水戸や薩摩を駆逐する。それでは世の中は収まらず、薩摩と長州は手を組んで討幕する。地震と歴史改元の年表を並べると、驚くほど関連がありそうな気がします。南海トラフ巨大地震が起きる数十年前から西日本は地震活動期を迎え、それによって社会が混乱して歴史が動いていき、どこかで災異改元をする。
明治以降は災異改元をなくしたので地震が起きても改元しません。関東地震の2年後に大正から昭和に変わりますが、2年おきに地震が来ます。関東地震、北但馬地震、北丹後地震、北伊豆地震、西埼玉地震、昭和三陸地震、福島県東方沖地震、男鹿地震、鳥取地震ときます。その間にどんどん軍国化します。治安維持法、金融恐慌、満州事変、国連脱退、二・二六事件、日中戦争、第二次世界大戦、太平洋戦争。で、とうとう次の南海トラフ地震が来ます。東南海地震です。名古屋を襲います。日本の飛行機工場はほとんど名古屋にあります。飛行機が作れなくなります。1週間後12/13、名古屋の初めての空襲がありました。飛行機のエンジンの4割を作っていた三菱の工場が空襲を受けます。さらに1ヶ月後、三河地震が追い打ちをかけます。東京大空襲、沖縄陥落、広島、豊川、長崎そして8/15を迎える。その一月後9/17、昭和の3台台風の一つ枕崎台風が、広島を襲い約2500人が死にます。翌年、12/21南海地震がやってきます。その翌年カスリーン台風がやってきて関東が水没です。そして翌年、福井地震がやってきて福井壊滅。1950年に朝鮮戦争で戦争特需になり日本の製造業が一気に回復します。前回の南海トラフ地震から75年、南海トラフ地震の前の30年は地震が多くなります。そう思ってみると平成の30年間は地震だらけです。昭和の後半30年、伊勢湾台風後の30年間は震度7の地震は1つもありません。平成は6個。100人以上死んだ地震は昭和の後半では日本海中部地震104人だけ。平成は2万人、6000人、200人以上があと二つ。昭和の後半は西日本内陸直下の地震はあまりありません。平成はいっぱいありますが、科学的には証明できません。でも歴史はいろいろなことを語り掛けます。科学的に証明されていないにしても、個人的には南海トラフ地震の準備過程のようにみえるので、徹底的に防災対策をしておきたい。
地震の大きさと震度と被害の大きさを見ていくと不思議なことを感じます。24年前の阪神淡路大震災の時、大阪の震度は4、昨年の地震では6。震度が2も大きい。にもかかわらず死者は31→6、全壊家屋は895→21、圧倒的に被害が減った。これは耐震化の成果だとみんないいます。ですが24年前は大阪には震度計がとても固い地盤の上に1つだけ設置されていただけ。今は88個。だから大きな揺れが計測できただけ。耐震化の成果などではなく24年前のほうが圧倒的に揺れていた。大いなる勘違いをしている。逆に言えば一昔前の観測体制でいえば震度3~4の地震で、現在は6万も家屋が壊れ、阪神淡路大震災の1.5倍の地震保険の保険金が失われ、エレベーターが6万台も止まったということ。
今心配なのは大阪の地震、近くに起きていない活断層があることです。これが動くと我が国は国家として相当厳しい状況になります。真上には超高層ビルだらけです。平成に起きた全く同じ大きさのマグニチュード7.3の大きさの3つの地震。神戸があったから5500人、熊本は50人、鳥取は死者なしです。
首都の真下で地震が起きるとどうなるのか。西原村のような揺れを受けたら免震はダメです。超高層ビルも危うい。エレベーターは、大阪では6万3千台が止まりました。首都直下地震については、現在の被害予測では16万のエレベーターのうち3万台が止まる予測ですが、ちょっと少ないと思います。これだけの人を救うのにどれだけの時間がかかるのか。流山市では、おそらく消防士は約200人。同時に消火できるのは6か所、救急車は5~6台、救助隊は2隊。本当は地震国日本ではエレベーターに頼る高い建物は作ってはいけなかったのだと思います。問題は直下地震。P波が来てからS波が来るまで2~3秒なので閉じ込められるのは免れられない。
北海道では厚真で大規模な土砂崩れが起きた。火山灰の土はよく水を含むので、前日までの台風の雨と地震で崩れた。こういう土はカルデラ噴火した場所に多い。だから熊本の地震で阿蘇山が崩れ、長野の地震で御嶽山が崩れ、岩手の地震で栗駒山が崩れ、そして北海道の地震で厚真が崩れた。神奈川も心配。鉄道と高速道路についてJRやネクスコに聞いたら、「構造物な大丈夫」。でも周辺の山々は彼らの持ち物ではないからわからない。
電気も具合が悪い。電力の自由化を日本のような縦長の国ですると、電力会社連系線が串団子状になる。北海道は、広いので電柱が多く電気料金が高い。なので、安く作れる石炭火力発電に半分以上頼った。北海道電力は停電した後、復旧の頼みの綱の北本連系線も安上がりな直流だった。交流に直すために電気がいるので、停電すると役に立たない。そんな危うい北海道に沢山あるのがデータセンター。地価が安く、機器冷却のための電気代がかからない。これらのデータセンターにIT産業が頼っている。
もう一つ危ういのが周波数の違い。最初に導入した発電機がドイツ製とアメリカ製と、それぞれ50Hzと60Hzだったから、東西で周波数変換ができない。首都直下地震が来ると西日本が助けてあげられない。西日本がやられるのが南海トラフ地震です。南海トラフ地震は巨大地震ですから海辺の発電所は全部止まります。東北の10倍の発電所が止まります。日本のエンジニアの数では東北で手一杯でした。10倍止まったら無理です。ということはブラックアウトなんて言う生易しいものでなく、ずっと電気がなくなるかもしれない。
すべての発電所が故障した時、最後の最後まで電気が届かないのが内陸です。これは多くの人が気付いていない。何かがあったとき、内陸の病院に頼ったらいいと思っていても、電気も燃料もいかない。そしてここにきて台風15号でこんなにも損壊し、台風19号でこんなに浸水した。これは大変です。台風15号にはぞっとしました。あの程度の台風でなぜこんなことになるのか。だって小さいんですよ。これは東京の危うさが現れてしまった。北海道は300万件も停電したのに45時間、二日で直した。関西は240万件を五日で直した。わが中部は180万件を3日で直した。東京電力は90万件しか停電してないのにいつまで経っても直らない。あれだけ小さくて強い台風なので、上陸したら突然風が吹く、しかも月曜早朝に上陸した。だれも金曜の夜、家に帰るときに月曜に来るなんて考えていなかった。日曜に気象庁が心配ですと記者発表した時には手遅れで、計画運休。都内はもぬけの殻でコントロール機能が全くなかった。その結果、どれだけ被害があるか一週間たっても一割程度しか把握できてない。この危うさを東京の人はどれだけ感じているのだろうと、心配になる。
政府が緊急的に台風15号検証会議を開催した。5人の学識経験者が呼ばれて、僕も呼ばれた。その矢先に台風19号が来た。19号では東日本の川ばかりがやられた。なぜ、西日本のほうがたくさん雨が降っているのに決壊しない。結局19号で被害にあったところは、昔被害があったところだし、地形的にまずくて昔は人が住んでいなかったところだし、地質がだめなところだし、決壊しやすい合流部だったり、下流で具合が悪いところだし、海抜0m地帯だし、ということが共通してわかります。江戸川は天井川です。中川、綾瀬川、荒川、常にポンプアップしてないと水に浸かる。長期停電したら水没するということをどれだけの人が知っているのか。そこに250万人がすんでいるわけです。少ないヘリコプターでは、250万人に食料や水を届けたり、救出するのはまるで無理なんです。江戸川区のハザードマップでは、豪雨が降ることがわかったら江戸川区から逃げなさいというハザードマップを作った。困るから、2日前になったら外に出なさいというハザードマップなんです。流山の皆さんは、こういう人も受け入れなければいけない。
福島原発事故の後に畑村洋太郎さんが事故調査委員会の委員長所感として最終報告書にかいたことですが「あり得るとあり得ることが起こる。あり得ないことも起こる。見たくないものは見えない、見たいものが見える。可能な限りの想定と十分な準備をする。形を作っただけでは機能しない。仕組みは作れるが目的は共有されない。すべては変わるものであり変化に柔軟に対応する。危険の存在を認め危険性に対して議論できる文化を作る。自分の目で見て自分の頭で考え、判断、行動することが重要であることを認識し、そのような能力を涵養することが重要である。」まさにこのところの災害で学んだことです。
これは2000年前にシーザーが言った言葉です。「人間はモノを見たり考えたりするとき自分が好ましいと思うものや自分がやろうと思う方向だけを見がちで、見たくないものや、都合の悪いことは見えないものである。」まさに私自身はそうです。そうじゃないとやっていけないが、多少は見たくないものも見ないとまずいと思います。お年を召した方々のほうが見たくないものを見る胆力が出来ている。若者はスマホしか見ないし、見たくないことをいう人の話を聞きに来る人は本当に少ないです。
東京の現実。3回前、2回前、前回の(首都直下)地震。3回前が一番大きな地震ですが江戸の犠牲者は340人。前回の関東大震災は東京で7万人。東京だけが200倍。千葉は5分の1です。なぜ東京だけこんなに人が命を落としたのか。隅田川の東に町を広げたからです。ここは地盤が緩いのでよく揺れる。そこに家屋を密集させ、倒壊し、火が広がった。隅田川の東で6万人死に、その火が西側に移って1万人死んだ。隅田川の西で家が壊れて死んだのはたった1500人。ということは本来、関東大震災では東京の死者は1500人でよかった。だけど危険なところに町を広げたからこんなことになり、これが原因で戦争を始め316万人の命が失われた。
寺田寅彦は「天災と国防」という文書に「文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実である」と言っています。「災禍を起こさせたもとの起こりは天然に反抗する人間の細工」「いやが上にも災害を大きくするように努力しているものはたれあろう文明人そのもの」これは1934年11月に書いた文書ですが、その前年3月3日に三陸地震がやってきて、この年の3月に函館大火があって9月に明治以降最大の台風災害、室戸台風がありました。そういうときにこの文書を書いて、このあと日本は戦争へと突入していくことになります。
歴史的に物事を考えていくと、南海トラフ地震は確実に起きます。これが来るとそこに住んでいる人口は東北の10倍ですから、被害も10倍。さらに揺れも強いし津波も早く来るから15倍かなと考えています。この津波が来ると日本は、200兆円くらいお金を失いますが、150兆円くらいはハード被害で60兆円くらいは経済的にお金が稼げなくなるというものです。20年は回復できないので20倍で1400兆円になり、日本は世界の中でも最貧国になる予定です。
日本がどうしてだめになるかというと製造業がだめになるからです。製造業があるのは愛知を中心とする西日本です。東京7兆円で、愛知47兆円です。千葉は12兆円です、神奈川は17兆円です。47兆円のうち26兆円は西三河というところで、その半分以上は豊田市です。僕たちは何が何でも豊田市を本気にさせるように動くしかなくて、本気にさせるために巨大地図を豊田市の体育館にもっていって、南海トラフ地震が起きた時の様子をプロジェクションマッピングして、そこに国、県、市町村、大企業の人を呼んで本気にさせるというワークショップをしました。みんなで本音のことを話し始めていくと、実は何もできていないということを語り始めました。みんな自分の具合の悪いことを言いたくないものなので、隠していました。だけどみんな地元出身者だろう?豊田がこけたらみんなつぶれるんだぞ?と言ったら、本音を言い始めました。名古屋から始めて、調べていくと工場が生きているためには、建物、機械、人、システムが生きていないといけない。病院だって同じです。建物、医療器具、医師、情報システムが生きていないといけない。工場が動くためには3万点の部品や素材が届かないといけなくて、部品工場も組み立て工場も生きていないといけない。電気、ガス、水道が生きていないといけない。道路が生きていて運転手がいてトラックもないと部品が運べない。この工場で働く1万人の従業員が来れるには、地域が健全でないといけない。港湾が生きてないと輸出もできない。海外も生きてないとダメ。調べていくと何もやっていなかった。
昔は自分の家にくみ取り便所も井戸も畑もかまどもありました。我が家は太陽電池と蓄電池と、燃料電池と井戸と畑を全部整備しました。自立住宅化を一生懸命すすめています。この国で国の機能不全波及について全体像を考えている人が誰もいなかった。縦割りだから仕方がありません。だからみんなでやらなくちゃという人もいませんでした。サプライチェーン対策は当然動いていなかった。だから自分だけ動いても無駄ということで、大企業ですらハード対策はやっていなかった。特に中小企業はなにもやっていなかったというのが実態でしょう。
病院も同じです。医薬品、機材、酸素、リネン。職員がやってきて、水や電気があって車が走れないとダメ、鉄道も走れないとダメ、患者さんも来れないとダメなわけです。だから医療がその時に役に立つはずがないんです。医者の不養生ですから。例えば愛知の例ですが、災害拠点病院、薬問屋の半分が浸水します。台地上のある拠点病院では、医師も病院の近くに住んでいますが、看護師は遠くから通っている。事務員はさらに遠くから通っている。最近の医療は医師だけでは成り立たない。コメディカルや看護師がいないと成り立たないので、大変だと思います。人が集まれない。特に都内の病院はとんでもないことになります。調べていくと薬品商社や医療材料商社はあまり対策をしていません。でもここから資材が届かないと病院には何もない。最近は医薬分業で医師は薬を持っていない。医療分野は危機的状況です。そのことを知るとケガをしてはいけないと思うわけです。流山では、救急車も足りないし、119番通報は5回線もない。医療もあやうい。
実はこんな状況なわけです。見たくないものをちょっと見始めるかどうかがポイントです。南海トラフ地震は来るだろうと思います。本日は触れませんでしたが、予知が出来なくなってとてもあいまいな臨時情報というのが出ます。これが出ると日本社会がうろたえて、世界から見放されるかもしれません。万全な事前対策が出来ていなければ、おろおろする。その様子を世界のメディアが伝えると為替相場は一気に下落する。海外のタンカーは日本に入ってくれなくなるなど、地震が来る前に日本がだめになるかもしれません。日本はエネルギーも食料も自給率が低いです。さらに、本当に地震まで来たらどうしようもなくなります。
ですからできれば、昔のように日本中に人が分散して住んでそれぞれの土地の資源を活用しながら、自分で食べ物も水も維持できるようにしていく姿を追い求めなくちゃいけない。私は、うまく日本全体の資源を使えるような社会にしたほうがいいかなと、防災的には思います。彼を知り己を知れば百戦殆うからず。彼を知れば殆うきに近寄らず。己を知れば転ばぬ先の杖。そうすれば備えあれば憂いなしで百戦殆うからずになります。そうやって次の災害を過去の南海トラフ地震や関東大震災のように乗り越えていければ、災いを転じて福と為すで、私たちの国はもう一度世界から認められる国になるような気がします。
流山は相対的には安全だと思いますので市内や首都圏の方々と会話をしながら、より安全で素晴らしい社会を作っていくことに貢献いただければと思う次第です。
福和先生ありがとうございました。歴史的な観点から、数字を出して見えるようにお話いただきました。「本当の話ほど怖いものは無い」というのが正直な感想です。当日は500席がほぼ満席となり、210枚のアンケートをいただきました。開発が急激に進む流山市で災害対策は十分でしょうか。いざという時に命と生活を守れるよう、今からできることを始めましょう。 編集 担当理事 戸倉直実